加筆をしました( 【内容の補足】 と 【追記】 ) (2021‐5−5)
大学は岐阜大学である。大学とのやり取りは何回にも及び、文書が多いので、まず「岐阜大学の出題ミスとその隠蔽について」と題して、要点を整理している。これは、文部科学省に資料を送付した際、作成したものである。
全体の構成は次のようになっている。
〔T〕 岐阜大学の出題ミスとその隠蔽について 7 ページ
〔U〕 出題された問題(問題 2) 2 ページ
〔V〕 岐阜大学とのやり取り 47 ページ
〔W〕 文部科学省とのやり取り 14 ページ
〔T〕
岐阜大学の正解例について、ひとこと付け加えておきたい。
円弧に沿っての運動なので、「合力は接線方向では?」と思われるかもしれない。 確かに、3つの力の合力は接線方向を向く。 ということは、静電気力が右向きである以上、張力と重力の合力が接線方向になるはずはないのである。
3つの力の合力は接線方向を向くので、点Оに戻るかどうかは、重力の接線成分 mg sin θ と静電気力の接線成分 F1cos θ の大小で決まる。 上でベストの解法 A としているものと同じである。
〔U〕出題された問題(問題 2)
〔V〕岐阜大学とのやり取り
すべては、岐阜大への次の質問から始まった。
質問1がメインであった。問3に書かれていることは、一見すると本当だろうかという疑問が生じる。それが正しいことを確認したのが、次の「一様電場内に置かれた帯電導体球」である。物理としては大変興味深いが、出題ミスとは関係がないので、スキップして頂けばよい。
質問2は問5に関するもので、岐阜大はベストの解法を見逃しており、そのため回りくどい解き方になっているという注意をしたに過ぎなかった・・・この段階では。
■ 「一様電場内に置かれた帯電導体球」をスキップし、「岐阜大学からの回答」に移る
岐阜大学からの回答
質問2に対する回答を見て驚いた。出題者が回答を作成しているはずだが、まるで話がかみ合っていない! 力の分解が完全に否定されている。一体何を考えているのだろうか?・・・出題者が思い違いをしている可能性が高い と判断した。質問した時点でも、問題文の整合性が悪く、違和感があったのだが、この段階で疑念に変わった。力学が分かっていないと言わんばかりの回答も信頼性を減じていた。
再度の質問をすることにした。岐阜大は事務局を通して質問を受け付けているので、事務局宛と教員宛のセットでの質問となる。「…入学試験係殿」としているのが前者で、「岐阜大学殿」が後者であり、これ以後も同様である。
深刻な応酬になることも予想され、恨みを買う恐れがないとは言えないので、以後は浜島一人で対応することにした。
次は、細かなことであり、スキップしていただいてよい。電磁気としての内容は「興味深い」と評したが、電位の基準点があいまいだったり、何かと手が行き届いていない。通常は2点間の電位差が問題になるので、電位の基準はどうでもよいが、この問題では電位そのものの値が重要である。
■ スキップし、「岐阜大学からの回答(正解例の提示)」に移る
岐阜大学からの回答(正解例の提示)
「張力と重力の合力が接線方向を向く」と誤解していることが判明した。 力学の初歩とは言わないものの、想像だにしなかった基本的誤りである。
問5で「下線部がなぜそうなるのかを説明し、…」と要求したのも、誤解に基づけばこそである。静電気力が右向きなので、「その他の力は点Оに向かうはたらきをする」のは自明であり、理由の説明を求められて違和感が生じていたのだが、これですっきりした。最初の回答で力の分解を否定したのも納得できる。いろいろな疑問が解消した瞬間である。
既に公表用に作成済みの正解例をコピーするだけのことに20日間もかかっているのは、誤ったことをやっと認識し、対応に迷っていたためであろう。できることなら、書き変えたかったのかもしれない。大学として正解例を用意するシステムができ上がっていたことが幸いした。
質問には殆ど答えていない。答えようがなかったのであろう。 また、「ある方向への『成分』を考えればよい」としているが、意味不明である。 第1回目の回答 (質問2に対する回答)で、力の分解を否定したこととのつながりも分からない。誤りを言い繕うためのものと思われる。
誤りが明白であったので、この時点では簡単に解決すると思っていた。
回答がないまま日が経った。
漸くにして届いた回答は意外なものであった。
「近似」に逃げ道を見出している。しかし、その道はすでに閉ざされている。最初の質問時に「問題文から推し量りますと、もっと粗い近似の考え方で正解例を用意されているように思えますが、・・・」と確認している。それに対して、回答では何も答えていなかった。回答内容からしても、頭の片隅にもなかったはずである。
(読者には、もう一度 第1回目の回答 を見ていただきたい。今回のものとの違いに驚かれるであろう。)
2回目の質問では「出題者の独りよがりの問題文になっているのではないか」とか「採点上問題があったのではないか」というミスの疑いを投げかけているのに、回答は正解例の提示にとどまっていた。ミスしていないという最大の論拠となる「近似」に触れていなかったのである。当初から「近似」を考えていたのであれば、ミスを疑われたこの段階で説明しないはずはない。
ミスと断定した第3回目の質問(6月29日)に対しては、なおさらのことであり、その後沈黙し続けた事実は重い。
結局、今回になって「近似」を持ち出したのは、ミスを覆い隠すため と判断した。
今回の回答も論旨が分かりにくい。文章表現などから見て、一貫して同一人物、つまり作題者が回答していると思われた。ミスをした張本人が対処の指揮を取り、回答を続けるのは異様である。文書自体、チームで検討したとは思えない、分かりにくいものなので、一任を取り付けているのであろう。チーム内での作題者の権限の大きさが窺える。ただ、作題チーム以外の人が検討すれば、結果はおのずから正されるはずと考えていた。
事務局の関与を排して、作題者(と周りの数名)による隠蔽の疑いをもっていたものである。しかし、隠蔽は作題チームおよび新たに加わった複数教員の合意によるものと分かった。一人として学者としての良心はないのだろうかとあきれてしまう。
ともかく反論を提出することにした。しかし、隠蔽に踏み切った者たちには通じないことは明らかだった。そこで、学長に事態の収拾をお願いすることにした。
まずは、反論から。
【内容の補足】 岐阜大が主張する「近似」に関して、少し付け加えておきたい。
問題文では「小球に作用するその他の力は点 O に向かうはたらきをする」に下線が引かれ、問5では「下線部がなぜそうなるのかを説明し、F2 を求めよ」とある。その他の力とは重力と張力である。 そして、解答用紙は「説明」と F2 の「導出過程」に分けられている。
まず、「説明」で近似を許すのであれば、「なぜ」はありえない。近似にはいろいろな方法があるので、「どのようにして」としたはずである。 Why ではなく、How である。
そして、近似する場合は、「説明」と「導出過程」に分離することができない。 どのように考えて近似していくかを説明するほかはない。 解答欄は一つにしたはずである。
「なぜ」と岐阜大の正解例(次に再掲)とは見事に呼応している。
近似は「導出過程」の方でなされている。 最後の「答: F2 = 」とセットになっているのも 近似をここでやればこそである。「導出過程」は「近似過程」と読める。
「なぜ」を受けて「説明」に書かれていることは、近似ではなく、厳密に成り立つと誤認していたことが窺える。
また、 第1回目の回答(これも再掲)で力の分解を否定したことが決定的で(近似の場合は力の分解から入るのがふつう)、「説明」部分での近似は 念頭になかった ことを物語っている。
さらには、「近似」を意識した採点をしていたのであれば、「いろいろな答えを認めています」という回答になったはずである。
以上、いくつもの「…はず」が指し示している先には 岐阜大の誤認 が鎮座している。
【正解例】
【第1回目の回答】
そもそも、静電気力が右向きに働いているので、その他の力(重力と張力)が点 O に向かうはたらきをするのは「自明」であって、「なぜ」と問うこと自体がありえないのである。あえて答えるとすれば、左下の点 O に向かうのは、「張力の水平成分が左向きに働き、重力が下向きに働くから」という、物理としての内容の乏しい答えになろう。
問5の問題文・解答欄 と 正解例は 鍵と鍵穴のように噛み合っていて、岐阜大が誤認していたことを明確に示している。 岐阜大にとって 正解例は「近似」ではなく、さらには「例」でもない、唯一の正解であったのであろう。 第1回目の回答はそれを如実に示している。 断定的で、自信に満ちている。
その後のやり取りでも「近似」に触れることはなく、二カ月以上たって、突如「近似」を持ち出してきたのである。 それも、「自明」のことを、「近似」して「なぜそうなるのかを説明」した という奇怪な論理の下に。
――内容に関する加筆はここまで。 事件の経緯と現状については【追記】に。 2021・5・5――
そして、学長への手紙。
9月3日、岐阜大から次の回答が筆者の自宅にFAXで送られてきた。FAXの前には在宅を確認する電話があった。今までは単にFAXが送られてきただけなので、少し気にはなった。
「はたらく力の水平方向の成分を調べれば分かるとの考えに沿って、問題文は誘導を行っています」とある。 では、なぜ 第1回目の回答(次に再掲) で水平・鉛直方向への分解を完全に否定したのか? さらには、「電場に沿った水平方向にx軸を導入しているだけ」と水平方向をまるで軽視しているではないか?
ミスに気付き、「近似」に逃げ込むためには、前言との矛盾など構っていられないということであろう。
【第1回目の回答】
岐阜大の正解例が近似として成り立つかどうかの議論に目を奪われがちだが、正解例が厳密に成り立つと誤認して問題が作られ、採点がなされたことがミスの本質である。上の回答はその本質から目を逸らせようとするものである。作題時に誤認がなかったという証拠は提示されていない。それどころか、答案の「点検」が必要だったことが誤認を傍証している。作題時の誤認が与えた影響については前に詳述した(8月17日の文書)。
翌4日、河合塾から電話。昨日(3日)岐阜大事務局の学務部長と入試課長が抗議にやってきたとのこと。昨日のFAXの前に在宅を確認する電話があったのは、筆者が河合塾にいないことの確認のためであったと知る。大学がこのような行動に出たことに驚く。
次の書面は岐阜大が持参したものであり、河合塾の対応によっては、理事長に送りつけるという脅しであった。
河合塾にとってはまさに寝耳に水の話であり、「個人の立場での質問なので、静観する」と返事したとのこと。
経過の要点を振り返ると、出題ミスを指摘(6月29日)→ ミスはないとの回答(8月9日)→ 出題時に誤認があったことを認めるよう要望(8月17日)→ 河合塾への脅し(9月3日)という流れである。8月17日に岐阜大の対応を批判した途端に脅しをかけてきている。問答無用に近い。
批判の封殺を意図したものであり、大学として許すべからざることであったので、学長に抗議の書面を送った。
すぐにも学長からは、謝罪と事態への対処の方針が返されると思っていたが・・・まるで無反応であった。
それは、学長が脅しを承認していることを意味し、愕然とした。
事件は、出題者のわがままから周りの人々を巻き込んで、ここに至ったものと思い直し、大学内での解決は学長にしかできないので、もう一度呼びかけることにした。
解決策を提示した。3ページ後の「岐阜大学殿」に記している。
提示した解決策である。日付が9月26日になっているのは、その日に事務局に送る予定であることを学長に知らせ、考える時間を作り出すためである。
学長からの返事はなく、事務局から次の書面が送られてきた。
一縷の望みで、学長に送った手紙である。
岐阜大は、筆者が誤解しているとし、直接会って意見交換をしたいと言ってきていた。このことに返事をしておくべきと考え、第三者が検証できる書面で誤解の内容を示してほしいと書き送った。
予想したとおり、誤解なるものに関する書面は送られてこなかった。
学長からの連絡もなく、文部科学省に訴え出るほかはない状況になった。
〔W〕文部科学省とのやり取り
文科省のホームページから事件の要旨を伝えた。
一カ月たっても連絡はなかった。ホームページには「質問」に対しては回答すると書いてあるのだが・・・。
催促の問い合わせをした。
やはり、回答がなく、仕方がないので、12月14日文科省に電話をした。すると、「動いているところです」とのことで、一安心した。ただ、予想外の電話のためか、うろたえた応対だったので、一抹の不安があった。
着手したのなら、資料の請求があると思っていたが、数日待ってもなかったため、17日に再度電話してみた。すると、「岐阜大学に尋ねたが、ミスはしていないということだった」・・・ミスの内容も把握せず問い合わせ、相手の言い分を受け入れただけのことである!
ずさんな対応に驚いたが、とにかく資料を見てほしいと送ったのが、上掲の資料〔T〕、〔U〕、〔V〕である。次の文書を付けた。12月23日のことである。
今までの鈍い動きからは考えられないが、早くも28日に返信メールがあった。上に掲げた分厚い資料を受け取ってから数日で結論を出したのである。初め、2カ月に渡って放置したのと好対照である。
うすうすは感じていたが、結論は当初から岐阜大と相談して、決めていたのであろう。「問題があると判断できませんでした」という表現がいかにも官僚的である。「問題はありませんでした」だと生じる責任が回避でき、資料の内容の検討をしていなくても通る表現となっている。そして、出題ミスも脅しもまとめて始末できている。
批判というより、非難のメールを送った。
以下、やり取りの説明は省く。12月28日には資料を確認した上で裁断したはずが、責任は持てるのかと詰め寄られ、入試ミスかどうかの判断はしないという責任逃れに変わっていく過程である。その場しのぎの言い逃れが多く、担当部署が異なると言ってみたり、話の不整合が目立つ。嘘をつき、ボロを出し、嘘を塗り重ねる過程でもあった。
脅しについては「問題があると判断できませんでした」に戻っている。常識という判断力さえないことを明言して恥じないものである。
文部科学大臣への手紙。
まったく反応はなかった。
結局、岐阜大も文科省も、いたずらに時間を延ばし、保身(組織防衛)に汲汲として、不当に不合格になっているかもしれない受験生への配慮はかけらも見られなかった。ミスを指摘したときの岐阜大、ホームページから訴えたときの文科省、いずれも放置しておけばあきらめるだろうという対応であった。大阪大学と京都大学の出題ミスで得られたはずの教訓は生かされるどころか、土足で踏みにじられてしまっている。
岐阜大学と文部科学省に対して抱いていた敬意と信頼感は大きく傷ついてしまった。
(2019年10月5日:記)